生放送でリアルにリスナーと絡むことで、そこから新たなエンタメが生まれることもあるのだ!コラボにおいてもそうで、他の者とコラボすることで新たな己の一面を出すことができエンタメがまた生まれる!現に俺も仲間とコラボして引き出せた良さもあるぞ! #peing #質問箱 https://t.co/Is9BKN6e35 pic.twitter.com/uO0HNpq6DP
— 世紀末系猫耳幼女ネコケン (@shiroken_2900) June 1, 2018
シロウケンさんの質問箱にこういった投書が寄せられていました。
要約すると、VTuberと言うコンテンツが好きだったのに、生放送や馴れ合いを見ているうちに「キャラクターではなく人間」だということが意識されてしまい、醒めてしまったということのようです。
実際、個人VTuberはコラボ以外でもTwitterや放送コメントで頻繁に交流しており、またその時にキャラ設定を維持し続けるのは無理があるので、この指摘は確かに的を得た部分があると思いました。
私はそのことを嫌だと思わないタイプの人間なのですが、今回たまたまそっち側だっただけで、もしかしたらこの投書をした方と同じようにすごく嫌に思った可能性もあるのです。
この方はVTuberが生放送主体で活動することのメリットはわかっていて、だからそれを否定したいとか何かをしてほしいとか言いたいのではなく
単にデメリットが直撃して好きだったものが自分の望まない方向に変わっていった悲しみを誰かに伝えたかったのだろうと思います。
何にでもメリットとデメリットがあるだけで、どちらが正解ということではなく、各自がそれぞれの判断で選んだ結果、全体的には多数派の方に流れが傾いていく。そういう話で、全体的には幸せな人が増える一方、悲しみを背負うことになった少数派も常に存在するわけです。
私もよく色んな場面で少数派側に回るタイプなので、この立場めっちゃわかるなーと思いながら、またその話とは別に、私がVtuberを布教してもあんまりピンとこなかった友人がどうしてピンとこなかったのかのヒントもここにあるような気がしました。
「キャラには興味があるけどキャラの中の人間のことには興味がない」
なるほど。私はいくつかの声優ラジオにハマったことがあって、中の人込みでキャラを好きになると言う経験があったので(逆にキャラは好きだったのに中の人が嫌いなタイプだったから嫌いになった経験もある)、だからVTuberが中の人間性を出すことにも抵抗がなかったのですが
そもそも「キャラと中の人は分離して欲しい」というスタンスの人がいるのも当然なんです。
だってキャラと中の人は別の存在だから。
ある意味でそういう人たちのほうが作品を純粋に楽しもうとしていると言えるのかもしれません。
しかしVTuber界隈は割と初期からねこますさんの「キャラは可愛い女の子なのに中の人はコンビニバイトのおじさん」というギャップが受けたみたいな、そういう風潮があったから、まあやっぱそういう純粋な人は「向いてなかった」でごめんなさいするしかないんじゃないかなーとも思いました。
世知辛いのじゃー